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日々是好日〜読書日記〜{Revised ed.}

ありとあらゆる本の読後感想。時に映画・旅・恋愛ネタなど。
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10.09.15:05

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05.31.09:07

「おひけぇなすって!〜(中略)〜手前生国と発しますは・・・」

「日本」という<国>は、どこまでなのか?
この話は過去から連綿と論争の種となり、そして未来もそうなるだろう。

例えば北方領土
もしくは竹島

興味があるか?と言われると、地元の方々には申し訳ないが、正直、ない。
特に後者に関しては、ほとんど状況が分からない。

興味があるのは、沖ノ鳥島の方。
<島>とするか<岩>とするかで、日本の領海はかなり変わる。
そして、単純に「この目で観てみたい」のだ。

日本「国」でさえこうだ。
世界の「国」は、もっと(語弊を恐れず言えば)面白いはずだ。

今日の一冊。
「国マニア−世界の珍国、奇妙な地域へ!−」
(吉田 一郎、交通新聞社)
(出版社のリンクはこちら。)

おそらく普通の地理教科書には出てこない、世界各地の(日本人からみれば)「奇妙な国々」52か国を一挙紹介。

80日間世界一周。
そんな短時間じゃもったいない。
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To Be Continued

05.29.09:17

ヨコのものをタテにするだけ、じゃ藝がない

映画<ダ・ヴィンチ・コード>は、かなりの冷笑をもって迎えられているようだ。
少なくとも世界的には。

カンヌ映画祭ではやじが飛び、諸外国では上映禁止SONY製品の不買運動など。

見た目の派手さに幻惑されて中身がない、というのは米映画の大作では珍しくもない。
また、原作つきのモノなら、原作との違いで叩かれるのも当然。
<ロード・オブ・ザ・リング>のように絶賛される方が珍しいだろう。

小説(文章)と映画(映像)では、その表現方法が異なる。
小説を映画化するにせよ、映画をノヴェライズするにせよ、そのまま移し変えるだけでは<原作>の魅力は伝わらない。

これが、異国語の文章を日本語に持っていくとなると、どれだけの力量が必要となるのか?

今日の一冊。
「特盛!SF翻訳講座−翻訳のウラ話、業界のウラ話−」
(大森 望、研究社)
(出版社のリンクはこちら

元・新潮社の編集者で現・翻訳家(いかに他の仕事が多くとも・・・とは本人談)の著者が89年〜95年にかけて<S-Fマガジン>に連載したコラムを中心にした翻訳指南書。

バベルの塔を阻む壁。
その壁を越えんと東奔西走。

To Be Continued

05.25.09:14

シュレーディンガーの子猫は元気か?

常日頃に自分が見ている世界。
光にあふれる、まばゆい世界。

その光が<波>であり<粒>であることは、あまり知られていない。
少なくとも普段の世界では気づかない。

氷の結晶。
液体から固体へ姿を変え、小さな結晶から大きな塊へと変貌する。
ミクロとマクロ、フラクタル

ヒカリとコオリ。
かれらの奏でる即興曲を聴いてみたい。

今日の一冊。
「アイスペインティング-ice painting-」
(原田 雅嗣、工作舎)
(出版社のリンクはこちら

氷の上に描いた色彩が時々刻々と変化していく様を<瞬間>として切り取るヴィジアル・パフォーミングを一冊に。

粒子と踊り、ノイズと戯れる。
そこに現出する、カオスという名のシンクロナイズ。

To Be Continued

05.15.09:06

<幻視者>たちの円環

以前の記事で取り上げたことのある<共感覚>者。
彼らはひとつの刺激で、いくつもの他の感覚が惹起される。

<共感覚>とまではいかなくても、ある刺激から他のインスピレーションを得ることは、<創造者>たちの間では珍しいものではないだろう。

固定された殻の中に閉じこもることなく、自らに限界を課することもなく。
受け取る眼をきたえ、耳を研ぎすまし。
そして彼らの生み出す<もの>は、さらに多くの<創造者>たちへ刺激を与える。

今日の一冊。
「武満徹:Visions in Time」
(堀元彰 他編著、エスクァイア)
(出版社のリンクはこちら

没後10年を経て、さらに数多くの人々を魅了する音楽家(そして幻視者)、武満 徹
彼の愛した藝術作品と遺されたことばから、その秘密を解き明かす。

過去の創造者から未来の創造者へ。
それは閉じることのない円環、昇りつづける螺旋。

To Be Continued

05.11.09:06

「どうしよう! どうしよう! ちこくしちゃうぞ!」

JR線の大事故から一年以上が過ぎた。
あまりにも大規模であったが、その他にも数多くの事故は起こっている。

遺族の方々の気持ちを推し計ると、「何故・・・?」と言いたくなる。
だが、あえて裏を返してみよう。

山手線ほかの都心界隈の鉄道を経験しているひとには分かると思う。
あれだけの本数をこなしているのに、駆け込み乗車含めて「一本でも早く」乗り込もうとする人々。
一分でもダイヤが遅れようものなら、(時間帯によっては)暴動すら起こりかねない現状。

いったいいつから、日本人はこんなになってしまったのだろう?

今日の一冊。
「遅刻の誕生ー近代日本における時間意識の形成ー」
(橋本毅彦+栗山茂久/編著、三元社)
(本の目次はこちら、Amazonのリンクはこちら

明治6年1月1日の太陽暦・定時法導入以後の日本で、いかにして<時間意識>が植え付けられ・変化していったかをたどる。

時は金なり。
その金は、命よりも大事か?

To Be Continued