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日々是好日〜読書日記〜{Revised ed.}

ありとあらゆる本の読後感想。時に映画・旅・恋愛ネタなど。
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05.13.13:59

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04.22.09:32

水晶の中から・・・。

鰯の頭も信心から、という。

頼れるのなら、どんなものにでもすがりつきたい。
すがりつくことで、うまくいってもいかなくても、いくらか気は楽になる。
うまくいかなければ尚のこと、「すがった」物のせいにできる。

大義名分に使われるのも信心・宗教だろう。
(僕も含めた)大半の日本人にとって、「宗教」は理解を越える。
「宗教」のために人が殺しあうことも。
<折伏><聖戦>の名のもとに。
「異教」は「邪教」なのだ。

そんな「宗教」のもとに政治や戦争が行われるのであれば、その裏で、(普通の)人智を超えた存在が跋扈・利用されていても何の不思議もない。
Extra-sensory Perseption(超感覚的知覚)=ESP。
もしくは
Psychokinesis(念力)=PK。
両者を合わせて「PSI(サイ)」ともいう。
すなわち、超能力

今日の一冊。
「戦争とオカルトの歴史」
(W.アダム.マンデルバウム、原書房)

戦争と歴史の裏を支え続けた「超能力」および<サイキック・ソルジャー>たちの歴史をひもとく一冊。

宗教とオカルトと政治の共通点。
信じない者には意味がない、信じるものには圧倒的な存在となる。
そして、時に人を不幸のどん底に陥れる。

BGM.
Singing Circuit
by Shi-Shonen
P-vine PCD1336

・・・今回の記事は、ここまでが壮大なマクラになる。ここからがホントに書きたかった記事。ぜひ続きを。
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To Be Continued

04.20.08:47

顔のない女

ひとが人間を<ひと>として認識するには、身体のどのパーツが重要なのだろうか?
それほど深く考えることはない。
おそらく一番に思い付くのは『顔』(同じ意味としての『首』)だろう。

都市伝説としてとびかう<人面○○>を引き合いに出すまでもなく。
永井豪「デビルマン」には<ジンメン>というデーモンもいた。
頭の病気からくる症状のひとつに、「ひとの顔だけ認識できなくなる(声を聴くと誰だか分かる)」相貌失認(Prosopagnosia)というものもある。

イメージとしての『顔』は、人を<ひと>たらしめている最大のファクターだろう。
だからこそ、犯罪者たちは顔をつぶし、死刑では首を落とす。
そうすることで<ひと>から<肉>に貶めているのかもしれない。

では、落とされた<首>には、どんな意味があるのか?
<肉>を<ひと>たらしめるパーツのみを取り出した時、逆説的に崇高なイメージがもたらされるのか?

今日の一冊。
「斬首の光景」
ジュリア・クリステヴァ、みすず書房)

あらゆるイメージの根源となる、残酷かつ崇高な<切られた首>のヴィジョンに、『異邦の女』と呼ばれるフランス現代思想家がするどく迫る書。

苦痛に満ちた光景。
そこから導かれる、浄化されたこころ。

To Be Continued

04.18.09:05

「事件は現場で起きているんだ!」

「ひとを泣かせる」「感動させる」映像が氾濫している。
各種映画しかり、実録ものしかり。

しかし、その映像がフィクションなのか、ノンフィクションなのかは、誰が判断するのか?
冒頭、もしくはエンドロールに提示される一行。
「この作品はフィクションであり(以下略)」
これをどこまで信じればいいのか?

自分の眼で、その現場で確認のできること以外の映像は、どこかで操作が入っている。
旧聞に触れれば9.11。2002年の『奇蹟の詩人』、そして昨年のイラク人質事件。
<グラウンド・ゼロ>を訪れたひとや、<詩人>の親、例の三人組or遺体を目の当たりにしたひとは
「あれは事実だった」と言われるだろう。

もちろん、まったくの作りごとだと言うつもりはない。
でも、<その画像を撮った人間>の「意識」が入る以上、どこかに
「作為(悪意、ではなく)」
を感じておかなければならないのではないだろうか。

今日の一冊。
「ドキュメンタリーは嘘をつく」
(森 達也、草思社)

オウム真理教(現・アーレフ)を題材にした<ドキュメンタリー>である「A」および「A2」で知られる映像作家の、鮮烈な表現行為論。

すべてを疑う必要はない。
でも
すべての事の中に、ほんの少しだけ「疑い」を持って欲しい。

BGM.
The Lady of Charlotte
by 葛生千夏
SAL-00002

To Be Continued

04.16.09:01

過剰包装?

海外のペーパーバックやハードカバーを手に取る。
表紙の紙に直接文字・イラストその他が印刷されているものが大半。
匣入りなどもないことはないが、どちらかと言えば少数派。

振り返って、日本の本を手に取る。
カバーがつく、帯がつく、匣に入る。
カバーや帯自体が<本>のデザインの一部に組み込まれていて、外すことがためらわれるものも少なくない。
最近だと光文社のカッパノベルス一群や「ユージニア」(恩田陸、角川書店)あたりか。
他にも、カバーがリバーシブルだったり、雑誌連載のものだと雑誌の付録として「限定のカバー」がついてきたり。
(以前紹介したこの人のように、自分で匣まで作ってしまうのは今の日本でも多くはないだろうが)

そうして完成された上に、さらにカバーをかけること。
保管の意味でなければ、せっかくの本の素顔が隠されてしまう。
もしくは、「どうせはがして捨てるから要らない」。

ちょっと日陰な存在か?
意外とそうでもなかったりする。

今日の一冊。
「カバー、おかけしますか?ー本屋さんのブックカバー集ー」
出版ニュース社」
書皮(カバーのことをこう言う)友好協会会員たちが、年に一度のコンテストで大賞に選んだカバーをはじめ、
全国の(古)書店ブックカバー197点をカテゴリ別にカラーで紹介。

新たな衣をまとわせる。
そして気付く、新たな魅力。

BGM.
ブリリアント・ストリームス
by アストゥーリアス
KING NKCD3855

To Be Continued

04.15.13:59

国勢調査(?)です

LOVELOGの「あしあと」をたぐって,たくさんの方に来訪していただいている.

ただ,とある外部のbloggerの方のところにお邪魔するようになって,ふと思った.

「LOVELOG以外の方はどのくらい来られているのか?」

アクセス解析をつけるほどでもないような気もする.

そこで.

LOVELOG以外から来訪していただいている方で,
「そんな言うなら<あしあと>残してやる」
という奇特な方.

この記事限定でコメントを入れていってください.
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