01.23.04:26
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06.09.19:10
人間の身体が奏でる<音>はいろいろとある。
しかし、<声>以外はあまり優遇されていないように思う。 人間から出る<香>もいろいろとある。 しかし、これもごく一部の匂いを除けば忌み嫌われることが多い(特に現代)。 ヒトという自然の中で奏でられる<音>と<香>の協奏曲。 こう書けば、とても優雅で典雅な気がするのだが、人は「それ」を意識的に抑えつけようとする。 そして、時にその努力は、むくわれないことになってしまう・・・。 今日の一冊。 「放屁という覚醒ー人類学的放屁論のフィールド1ー」 (O・呂陵、世織書房) (出版社のリンクは「こちら」) 東アフリカを中心としたフィールドワークを長年続けている作者が10数年溜め続けた「下腹部に幽閉された風」に対する覚書・論考。 出物腫物所嫌わず。 嫌うのはひと、されど、出すのも、ひと。 PR
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05.26.20:45
ヒトのDNA塩基配列解析がほぼ終了したとされて幾星霜。
そこから先はまだまだ手探り。 物質の最小単位とされる素粒子(クォークとレプトン)モデルが確立して、こちらも幾星霜。 しかし世界の謎は深まるばかり。 世界を細分化することで、ヒトは何かに近づいていこうとする。 だが、切り刻まれていけばいくだけ、分からないことも増えていく。 なぜ病気になるのか? それだって厳密には分からない。 今日の一冊。 「戦国時代のハラノムシー<針聞書>のゆかいな病魔たちー」 (長野 仁/東 昇 編、国書刊行会) (出版社のリンクは「こちら」) <第六天魔王>織田信長が上洛したその年に編纂された鍼灸医学書<針聞書>に描かれている、体内に潜む63の病魔=蟲をオールカラーで紹介。 カンノムシ、虫の知らせ。 蟲は味方か、それとも敵か? |
05.11.23:06
自分の心の中にある「世界」を、いかにして他人に伝えるか?
それはほとんどのひとが苦労する点。 ネットにblog、my spaceにTwitter。 かつてとは比べ物にならないほど手段は増えた。 だけど、そうして表現される「世界」は、果たして<なま>の世界だろうか? 誰かに見られること・見て欲しいこと。 そう思った時に、例え限りなく薄くても膜はかかるだろう。 ただひたすらに自分の「世界」を表現するとき、他人の評価は邪魔になる。 誰かに分かってもらいたい訳では、ないのだから。 今日は展覧会のご紹介。 「ヘンリー・ダーガー展:少女たちの戦いの物語ー夢の楽園」 1973年に80歳でこの世を去った<Henry Darger>。 彼が40年以上すごした部屋から偶然発見された大長編小説「非現実の王国で」。 そして、その世界を表した膨大かつ壮大な挿画たち。 2002年にワタリウム美術館で行われた<回顧展>に続き、日本初公開の挿画・資料により、彼の<世界>の謎に迫る。 4月14日〜7月16日まで東京・<原美術館>で開催中。 |
05.06.13:12
黄金週間最終日。
終わってしまえばあっという間。 仕事は3日間ほど入ったので、とびとびの休み。 何かしたか?と問うならば、 「してません」との返事になってしまう。 部屋の整理・本の整理、「積ん読」の整理・・・。 なのに、時間を持て余している自分がいる。 つくづく思う。 「何もしない」のには才能と体力がいるのだ、と。 今日の一冊。 「働かないー[怠けもの]と呼ばれた人たちー」 (トム・ルッツ、青土社) (出版社のリンクは「こちら」) 18世紀に登場した怠惰の唱道者「アイドラー」から現代の「スラッカー」にいたる<怠け者>の表象を膨大な資料とともに辿る一冊。 働かざる者も喰える現代。働けども喰えない現代。 じっと手を見る、蟹と戯る。 |
04.28.16:06
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