01.23.07:09
|
06.09.19:10
人間の身体が奏でる<音>はいろいろとある。
しかし、<声>以外はあまり優遇されていないように思う。 人間から出る<香>もいろいろとある。 しかし、これもごく一部の匂いを除けば忌み嫌われることが多い(特に現代)。 ヒトという自然の中で奏でられる<音>と<香>の協奏曲。 こう書けば、とても優雅で典雅な気がするのだが、人は「それ」を意識的に抑えつけようとする。 そして、時にその努力は、むくわれないことになってしまう・・・。 今日の一冊。 「放屁という覚醒ー人類学的放屁論のフィールド1ー」 (O・呂陵、世織書房) (出版社のリンクは「こちら」) 東アフリカを中心としたフィールドワークを長年続けている作者が10数年溜め続けた「下腹部に幽閉された風」に対する覚書・論考。 出物腫物所嫌わず。 嫌うのはひと、されど、出すのも、ひと。 この作者は本名で別のフィールドワーク論や分化人類学論をいくつかものされている。 こちらのプロフィール(もしくはこちらのプロフィール)をご覧いただき、興味がわけば手にされるのも一興。 臭いや音で忌み嫌われる・・・という点で、「音姫」などの装置が活躍している。 男女共用のところでないとぼくは見かける機会はないのだが、「こんな意見」があっても女性の方々には大事なモノなのだろう。 似たような題材を扱ったもの・・・ということで、「こんなモノ」も見つけた。 しかし電子ブックなのであまり食指が動かない。どなたかよろしく(ペコリ)。 タイトルは上方落語「転失気」のセリフより。 PR
|
音なしが臭い、という俗説は
|
最近は↓なのもありますが
|
記事が更新されないことを
|
やはり静かな中で音は気になるものです。
|
|
|