02.04.11:37
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07.19.09:01
以前の記事で、誰でも三回は主人公になれる、と書いた。
生まれてくる時、結婚する時、そして、死ぬ時。 しかし、その時にすら、主人公には<自由>は与えられていないフシがある。 昔のような自然なお産が少なくなり、時間を前後させられることもある。 結婚する時は「ふたりだけで」というわけにはいかない。あれやこれやの柵がまとわりつく。 そして、死ぬ時・・・。 「畳の上で、家族に見守られながら、安らかに」 というのは今の日本ではまず無理になっている。 ゴールは病院のベッドの上が大多数。 ならばせめて、死に向かって積極的に生きることはできないだろうか? 残る時間を、凝縮した濃厚な時間として、せいいっぱい燃やし尽くす。 誰かにコントロールされた<生>ではなく、自ら生きる<生>として。 今日の一冊。 「誰も知らないイタリアの小さなホスピス」 (横川 善正、岩波書店) 自分の夫が癌で死んだことを契機に、「積極的に死を生きる場所」としてのホスピスを作りあげたイタリア人女性の記録。 誰にでも訪れる幕引きならば、 その引き方は自分で演出したい。 BGM. 「Discovery」 by ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA SONY SRCS9848 現実的には、海外の「ホスピス」の概念を日本で実現するのはかなり難しいのではないかと思う。 スピリチュアル・ケアというものが今の日本では無理に近いからだ。 よくも悪しくも、宗教的なバックボーンが稀薄な日本人であるし・・・。 今回のBGM.は、この記事を見てひっくり返って引っ張り出して来た一枚。 合わせる形でベスト版も出るようだ。 うーん・・・それでいいのかジェフ・リン?? 追記;こちらへのお返事は今週中にはあげます。刮目して待たれよ(w。 PR
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「死を待つ人の家」も考えてみればホスピスみたいなものかと考えてみたり・・・ |
「自分自身が死ぬこと」への恐怖は薄れたけれど、 |
この世に生まれ来る瞬間から、今はの際までままならない世の中ならば、せめて今宵の一杯の酒くらいは思うままにと、、、 |
せめてその幕引きがいつになるのかだけでも分かっていれば… |
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