01.23.22:32
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05.22.10:22
人生というドラマの中で、ひとは誰でも二回は主人公になれるという。
一度目は誕生の瞬間。 二度目は結婚式or披露宴。 (「お葬式」でも主人公なのだが、本人は実感できないので・・・) その他では、大半のひとは端役、<通行人A>でしかない。 華やかなスポットライトを浴びるのは、ごく一部の選ばれた人だけ。 そう思うひとが多い。 だからこそ願う。そして悩む。 「誰か私を認めて欲しい」 「こんなに苦しんでいる私を誰か見つけて欲しい」 「ほんとうの私を分かってくれる人はいないの?」 悩める子羊たちは、導いてくれ、癒してくれる光を求める。 けれど、そうした光が本当に正しいのだろうか? そして、自分にとって必要なのだろうか? 今日の一冊。 「ココロによく効く非常識セラピー」 (ジェフリー・ウィンバーグ、アスペクト) 心理分析やカウンセリングで常識とされる様々な手法(多くは「相手を認める」ことの延長)に真っ向から反論、 新たなセラピーのあり方を提唱する一冊。 価値のない人間なんていない。 でも、<特別な人間>もいない。 両方を受け入れれば、ひとはもう少し楽になれるのではないだろうか。 BGM. Back To Mine -Pet Shop Boys- Back To Mine No.20 個人的にこうしたセラピストのお世話になったことが(幸い?)ないので、彼らの存在を否定もできないし肯定もできない。 生きていきにくい世の中になってきているのは事実だと思う。 そして、そこに助けを求める人が多いことも事実だろう。 でも、どこかで「ひとの心」そのものが弱くなってしまっている。 肝心の「ひと」がそれを認めようとしないのも一つの原因だと考えるのだが・・・。 今回のBGM。リンク先ではさも彼らの新譜のような扱いになっているが、実際は彼らが影響を受けたアーティストたちのV.A.。 PR
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こんにちは。 |
先日気になった後輩の言葉。 |
とある賢者が言ってた言葉だが、“どんな人格の者がいても、自分自身がそれを受け入れられる精神(ココロ)がなければ、誰も幸せになれない”らしい。どんな相手だろうと、こっちが誠意を示しても、相手がこっちの誠意を受け止める気がないのなら、結局は無意味になる。自分中心で世の中がまわってるハズもないのに、そう感じるのは“自惚れ”であり、世間知らずである。それはまさに、“礼儀”と同じである。自分を知ってほしいのなら、まずは相手の気持ちを悟り、その上で相手に自分の事を語るべきである。とかく、最近の人々は自らの姿を見失った迷子の様な状態なんだろう。 |
ひとVSひとなので難しい世の中ですが・・・ |
私のセラピストはバーで最高のセラピーは酒です。 |
認知って、時として危険な気がしますね。 |
分かり合えないと知った瞬間 |
幸せって本人が、どう思うかで |
『Back To Mine』はいろんなアーティストのものがありまつがペット・ショップ・ボーイズも出るのでつか・・・ |
今はものすごく急いているんだろうなぁ。 |
セラピストをからかう自信がある私は、 |
わたしは来月 |
こんにちは。 |
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