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日々是好日〜読書日記〜{Revised ed.}

ありとあらゆる本の読後感想。時に映画・旅・恋愛ネタなど。
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04.20.18:23

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11.15.23:12

最愛の<ひと>へ

自らの命を断つひとが増えている。
とある年齢層では、病死や事故死よりも死因として多い。
有名人の自殺のあとには、後追い自殺も増える。

なぜ彼らは自らの命を断つのか?

追いつめられて発作的に、というひともいる。
こんな世の中に生きていく価値を見いだせない、というひともいる。
美しいまま死にたい、というひともいる。

彼らの中にはこう主張するひとがいる。
「死ぬのがエゴなら、それを止めようとするのもエゴなんじゃない?」
「生きる権利があるのなら、死ぬ権利だって認めてよ」
「どうして死んじゃいけないの?」

・・・考えてみて欲しい。そして、考え直して欲しい。
「あなたが死ぬことで、残されたひとはどうなる?取り返しのつかない気持ちになるひとはいない??」

今日の一冊。
「自殺されちゃった僕」(吉永 嘉明、飛鳥新社)
友人・仕事仲間・そして自分の妻に自殺されてしまった著者の「残された側」からの、心の叫び。

ひとが生きる、ということは、周りの<ひと>と共に生きる、ということ。
本当に天涯孤独なひとなんていない。どんなひとでも、なんらかの<ひと>とのつながりの中で生きている。
それが柵(しがらみ)と嫌がるひともいるだろう。
でも、その<ひと>のことを考えて、そして、生きて欲しい。
例えそれが僕の「わがまま」だとしても。

BGM.
MANANA
by SAVATH&SAVALAS
Beat Records BRE-13
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無題

残された人の側からの視点でのルポというのは、あまり目にしませんね。
なかなか気になる本です。

無題

人の間で生きるから「人間」なのか。

無題

私の身近に自殺未遂をした人が居ますので、これは大変考えさせられる問題です。
この場を借りて説明させて頂きますと、中国語で‘人間’と書くと、世の中、という意味です。日本でも、元来その意味で使っていたのですが、いつの間にか意味が変わってしまったそうです。
「人は、誰も一人では生きていない」という事を如実に物語る言葉の歴史だと思います。
長々と失礼しました。

  • 2004年11月16日火
  • URL
  • 菜園チスト
  • 編集

無題

自分の存在を定義付けるのは、周囲にある全てだと思います。人間一人が産まれてから死ぬまでに干渉する人間の数は、関係がないように見えて意外に大勢居るものです。
一人の人間はそれだけ多くの人々――ひいては社会に影響しているということ……その意味を、自殺したいと思っている人には真剣に考えてもらいたいものです。

個人的にあえて言わせてもらいますけど、

自殺なんて「くだらない」です。

……人様のブログで偉そうに発言してすみませんでした。

無題

この本の著者と同じように、身近な人に自殺で先立たれてしまった人と話した事があります。彼(人生において大先輩です)が「自殺は病気だよ。そう考えないとやってられない・・・」と語っていたのを今でも鮮明に憶えています。その人は生物学の研究をしてる方で、「身近な人の死」についてとても深く考えた結果がこの言葉だそうです。

僕個人は、自殺や殺人・戦争等、「人が人を殺す」という事に関して、【人がどんなに悩み解決に向けて努力しようとも、ある時期までは減らないだろう】という見解を持っています・・・。

無題

身近に自殺した人がいました。
そこまで追い詰められていた事に気付きませんでした。
マンションから飛び降りる前日の夜。彼を見かけました。疲れていること。落ち込んでいること。知っていました。一言声を掛けようか迷いました。後ろ姿がとても暗く。いつもの彼と違っていました。結局声を掛けることができず。その後ろ姿の彼が最後のものとなりました。いつも明るい笑い声で周りを楽しませる人でした。頼れるお兄さん的な先輩でした。

生きていたら今頃はすべて解決して笑っていられたかもしれないのに。
死に逃げないでほしかった。
飛び降りる勇気があるなら立ち向かってほしかった。
たくさんの人が泣いた事。
知っているのかな?

  • 2004年11月16日火
  • URL
  • ひろりん
  • 編集

無題

生きるも死ぬも原則的には個人の自由だと考えています。
但し、自ら命を絶つのであれば、「誰の手も煩わさせることなく誰ひとり悲しまさせることなく」が鉄則ですが、現実的にはそんなコトあり得ない。
万が一、その用意と自覚が完璧ならば「どうぞご自由に逝って下さい。」と言うでしょう。
しかし、この場合も道連れ禁止!あくまでも一人で、が絶対条件ですが・・・・
自殺は最も性質の悪い我侭の一つだとも思えます。

それにしても「自殺されちゃった僕」、とても気になりますね。

無題

これまでの甘あま(w)な話題から一変したネタでしたが、反応多くて安心してます。

>>verdure様
ルポ、というよりも<慟哭>といった方がよいかと。事実、この作者も一度後追いしかけてますし。
>>K-taro様、菜園チスト様
なるほど、「人間」ってそういう意味なんですね。
>>風峰様
その一言がすべてです。
>>tenshi様
一種の<種>としての本能みたいなものなのかもしれませんが・・・。
>>ひろりん様
死を選ぼうとしている人は、あれこれの<サイン>を出しているとは言います。でも、回りが気づけるかどうかは・・・。
>>miyavilog様
「だれにも迷惑をかけずに」というのなら、今の世の中では自殺なんて不可能です。探さない訳にはいかないし。

  • 2004年11月17日水
  • URL
  • say_say_say/
  • 編集

無題

そうです。
だから自殺してはダメと。

無題

行き掛かりで、見ず知らずの人の最期を見とどけたことがありますが、手の施しようがなく助かることを願うのみでした。
しばらく経って、保険調査員と話をすることがあり、その人が保険をかけていたことを知りました。
孤独さが伝わってきて、とても悲しかったですね。

無題

自殺っていうか生死について考える時、プランクトンから恐竜から原始人から侍から90年代から昨日までの事と明日と未来人と原子やら分子やら細胞やら宇宙やらとりあえず理解できないもっと大きい宇宙までを考えます。

それをずっと考えてくと、あぁ死ぬなんてバカバカしいなぁに私は至るのですが、それをそう思えずにさっさと自分で死んじゃった人は、悲しいなぁと思います。

明日、100円拾えるかも知れないのにね。

無題

>>ato様
・・・せつない、ですね。
>>フナ。様
最後の一行が、一番グッときます。
そう、その100円のためにも生きてて欲しいです。

  • 2004年11月19日金
  • URL
  • say_say_say
  • 編集
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