01.24.02:35
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11.08.23:40
ひとにとって平等なもの。
それは「生」と「死」 「どういう環境に生まれてくるか」とか「どういう死を迎えるか」といった部分は考えない。 ひとは生まれ落ちた瞬間から<死>というゴールに向かって走り続けている。 ただ、そのことを考えないようにしているだけなのだろう。 しかし、完全に忘れ去ることはできない。 逆に、生の裏返しとして強烈な魅力を感じるひともいる。 リスカ少女たちの歪んだ「死」への表現も、そうかもしれない。 なによりも、強烈な<生>を生きているひとほど強烈な<死の表現>への憧れがあるのかもしれない。 自分は、こんな風に死にたい、全身全霊をかけて<自分の死>を表現してみたい・・・。 で、今日の一冊。 「最後に見た風景」(イジマ カオル写真集、美術出版社) http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/large/4568120691.jpg <あなたは、どんな死に方をしたいですか?>という問いを女優たちに投げかけ、彼女たちからの答え(場所・服装・設定)を形にした写真集。 11人の女優たちが「自らの死」を<生き生きと>演じている。 一個の<物体>と化したような、でも、そこから感じられる生命力。 矛盾していると思われるだろうか? そう思うあなたに、ぜひ、手にとっていただきたい。 BGM. Testimony-証言- by NEAL MORSE BELLE ANTIQUE MAR-03846-8 PR
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死に様は生き様の象徴、なのでしょうか?そうだとしたら矛盾はないと思いますが、ハッキリ言って判りません。 |
いつも、ありがとうございます。 |
よそさんのblogでコメント欄で並んじゃったりしてますが、はじめまして、です。 |
どんな死に方をしたいか? |
かなりの人が一度は「永遠に生きることが出来たら…」と考えたことがあるんでしょうか。僕は幼い頃によくそういうことを考えていたことがあったのですが、マンガ『火の鳥』で死にたくても死ねないキャラクターを見たとき、初めて「永遠に生きることの怖さ」を考えた気がしました。幼いなりに、ですが。 |
「あなたは、どんな死に方をしたいですか?」 |
ありがとうございます。 |
私はこの世の全てに、 |
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