01.24.05:55
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11.19.09:05
悪いことをしたら怒られる、というのはごく当たり前のこと。
「♩嘘ついたら針千本のーます♪」というのも<嘘>という(一般的に)悪いことにたいしての罰。 押入れの中に放り込まれたり、家から締め出されて鍵をかけられたり・・・。 そういう体験をしながら、「悪いこと」「してはいけないこと」を覚えてきたように思う。 分別がつくようになったあと、第三者に対しておこなっ(てしまっ)た「悪いこと」を罰するとき。 そこでは「した本人」と「された相手」だけで話がおさまることは、まずない。 そこには<第三者>が介入してくる。 「目には目を」と言われる<同態復讐法>をとるハムラビ法典196条でもそうだ。 専門的な知識をもつ、そしてまったく何の利害関係もない人間が、両者の意見を聴き、判断をくだす。 だが・・・ 彼らも人間であり、神様ではない以上、どこまで信じることができるのか? 今日の一冊。 「裁判官が日本を滅ぼす」 (門田 隆将、新潮文庫) (同単行本はこちら) 不可解な裁判の実例を多く取材・詳細に描き、司法を斬る渾身の告発ノンフィクション(文庫裏表紙より抜粋)。 罪を憎んで人を憎まず。 でも、その矛先は正しいのか? 裁判官+@だけにまかせる現行の裁判から、無作為に選ばれた国民を参加させる裁判員制度が2009年(平成21年)5月までに始まろうとしている。 これはアメリカの陪審制度にのっとったものだろう。 「一般の声」をいれた裁判を、というのは評価できないことはない。 しかし、こちらの方の指摘どおり、現状の日本(というよりも、日本人の国民性)では、うまく働かない可能性の方が高い。 下手をすると、「大手をふって社会的制裁を加える」場にもなりかねない気がするのだが・・・。 あと、無作為に選ばれる・とは言っても、その人が仕事を休んだりする時に「裁判員に選ばれた」というのを理由に(例えば)公休扱いにできるのだろうか? 裁判員制度のFAQで回答されてはいるものの、この通りにいくとは思いにくい。 アメリカの陪審員制度・そして実際に法廷を描いた作品として、個人的には「Q.E.D.−証明終了−」Vol.10<魔女の手の中に>をおススメしたい。 PR
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こんにちは。 |
「罪を憎んで人を憎まず」 |
"12人の優しい日本人"が現実化なんですねぇ |
陪審員制度はアメリカでも未だ賛否あったような気がしますが、 |
「裁判官が日本を滅ぼす」 |
こんばんは。 |
善人だけど罪を犯す。 |
5秒ルールの記事にコメントが残せない? |
遅ればせながらのレスですみません。 |
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