01.25.09:01
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09.24.09:03
世の中には「確実に存在する」はずなのに「表だって語られること」が少ない話題が少なくない。
例えば身体(心)障害をもつひと達。 先日のギリシャでは、車いすやら杖やら義足(だったかな?)やらを売っている店を街中で見かけた。 日本だって、そういったものを必要とするひとは一定数いるはず。 なのに、ほとんど見かけることがない。 自分もいつかはそうなるかもしれないのに・・・。 例えば性の問題。 児童性愛問題を除けば、タブー視とまではいかなくてもあまり取りざたされることがない。 もしくは、異様にスキャンダラスな視線になる。 特に性教育については、壊れ物に触るような扱いしかされない。 三大欲求のひとつであり、「ない」ひとはまずいない筈なのに・・・。 では、このふたつが組み合わさるとどうなるか? 重苦しすぎて、眼をそらしたくなるだろうか?? 今日の一冊。 「お笑い!バリアフリーセックス」 (ホーキング青山、ちくま文庫) (上記リンクは親本「UNIVERSAL SEXー性欲に身障も健常もない」) 先天性多発性関節拘縮症(リンク先の一番下です)のために生来車いすの「史上初の身障者芸人」である著者が赤裸裸に語る、身障者の性。 蓋をして隠しとおせない話題。 ならば笑い飛ばすのもひとつの方法。 語り口があまりにも「お笑い」なので、逆に眉をひそめるひともいるだろう。 (紹介のリンク先を親本にしたのも、それがひとつの理由) そういうひとには「セックスボランティア」(河合香織、新潮社)の方がいいかもしれない。 ただ、僕自身がこちらは読んでいないのと、こちらはあくまでも<ドキュメント>なのだ、という点を強調しておきたい。 あと、「重い問題」を「重苦しく語る」のは、ある意味簡単なのではないだろうか、とも思う。 あえて軽く語りとばす、そして相手に考えさせる。 こちらの方がよほど難しい。 PR
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お帰りなさいませ〜〜 |
メガネもある意味障害なのに、 |
この本、持ってます。 |
ハンディキャップを負った人が、自らのハンディを逆手に商売(言葉は悪いですけど)することに対して、『良識ある』ひとが「まわりが食い物にしている」と言って柳眉を逆立てることは、『気の毒な人』というレッテルを貼って蓋をすることだとは、常々思うこと。 |
同感です |
重い問題は重苦しく扱わなくてはならないという脅迫観念があるのではないでしょうか?そうやって脅迫しているのは誰かというのを考えなくては・・・ |
こんばんは。こちらに書き込みをさせてもらうのは初めてかもしれません。 |
小学生のころ障害クラスがあって |
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