02.03.06:04
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10.16.09:45
世の中に<真実>はいくつあるのだろう?
・・・真実はひとつじゃないのか?と思う向きも多いだろう。 だが、少し考えてみて欲しい。 Aという「事実」に係わったひとがBとCの二人いたとする。 そして、BとCが犬猿の仲だったとしよう。 Bが語る「A」と、Cが語る「A」の内容が大きく違うとき。 そして、その語り口が互いに相手を貶めようとするものだった場合・・・ 何も知らない第三者からみて、どちらの語る「A」が<真実>になるのだろうか? もうひとつは、語る「声」の大きさ。 Bの声がCの声より圧倒的に大きかったなら、周りはBの声にどうしても耳を傾ける。 もしもCの語りが「事実」だとしても、世間の受け止める<真実>はBの語りになってしまうだろう。 もう一度問う。 はたして、<真実>はいくつあるのだろう? 今日の一冊。 「眞実−ある芸術家の希望と絶望」 (成田 亨、成田亨遺稿集製作委員会) ウルトラマン・ウルトラセブン、および初期ウルトラ怪獣の産みの親である成田亨。 氏の語る自己の生涯、確固たる芸術論、そして、「眞実」の記録。 事実はひとつ。 しかし、「眞実」は係わったひとの数だけあるのかもしれない。 ウルトラセブンの途中で降板した成田氏は、その後、著作権その他のことで円谷プロとかなり険悪な状態になっていたらしい。 ただ、円谷側の記したものを僕は読んでいないし、もし読んだとしても、どちらが「事実」なのかは、おそらく第三者には判断はできないだろう。 事実と真実。 これはすべての事について言えることなのだと思う。 立場が違えば受け取り方も違うのだ。 それは、日々の暮らしの中で誰でもが多かれ少なかれ感じているのではないだろうか? 今回の本は自費出版のため、入手は困難かもしれない。 僕が手にしたのは、福岡県の田川市美術館で開催された成田亨の世界展会場である。 興味のある方は、こちらのメールアドレスまで。 tohl-narita.1929-2002@r7.dion.ne.jp PR
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あのドローイングの素晴らしさは「眞実」に違いないですな。(w) |
人の数だけある過去の真実を追求するよりも |
こんばんは。 |
カネゴンのフォルムって |
どこだよ |
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