01.26.16:14
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08.04.09:09
先日観てきた、マシュー・バーニーの拘束のドローイング展。
残念ながら映画<DR9>の上映日ではなかったため、そちらを観ることはできなかった。 一枚の「絵」として展示される作品と、その「絵」を作成しているパフォーマンスを記録したビデオ映像がひとつの部屋で発表されている。 映像まで丹念に観ていくと、かなり時間がかかる。 もしも絵だけを観せられたとして、それを本当に理解することはできるだろうか? 今回のバーニーに限ることではない。 作品の背後に存在する、作者の姿・その思想etc.。 いっさいの予備知識なしで<作品>を観たときと、多少なりとも知識を持って観たときでは、当然感じ方は異なるだろう。 そして、その知識はまた、様々なバイアスがかかっている可能性がある。 果たしてどちらが正しい見方なのだろうか? 今日の一冊。 「時を駆ける美術ー芸術家Mの空想ギャラリーー」 (森村 泰昌、知恵の森文庫) 有名絵画や映画女優に扮したセルフポートレイトで有名な著者が綴る、教科書にとらわれない<美術>の楽しみ方。 感じ方は十人十色。 だからこそ、楽しく、面白い。 ちなみに、個人的な答えとしては「どっちもあり」だと思う。 白紙の状態だからこそ見えるものもあれば、知識に裏付けられることで見えてくるものもあるだろうから。 ただ、その二つは「同時に」存在しえない。そこが問題ではあるだろう。 何も知らなかった頃の無垢な子供には帰れないのと一緒で・・・。 森村泰昌氏の諸作についてはこちらの芸術研究所をご覧いただきたい。・・・面白いと思えるかは、それこそその人次第だろう。 PR
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芸術というものに接するさいの予備知識は、 |
多少なりとも知識を得てしまうんじゃないかと思えるほど一般誌や美術雑誌でマシュー・バーニーの記事や特集が目に付きますな。 |
どすこい(なんか違うと言い張っているんだ。 |
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