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日々是好日〜読書日記〜{Revised ed.}

ありとあらゆる本の読後感想。時に映画・旅・恋愛ネタなど。
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05.03.18:35

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11.19.09:05

Quod Erat Demonstrandum

悪いことをしたら怒られる、というのはごく当たり前のこと。
「♩嘘ついたら針千本のーます♪」というのも<嘘>という(一般的に)悪いことにたいしての罰。
押入れの中に放り込まれたり、家から締め出されて鍵をかけられたり・・・。
そういう体験をしながら、「悪いこと」「してはいけないこと」を覚えてきたように思う。

分別がつくようになったあと、第三者に対しておこなっ(てしまっ)た「悪いこと」を罰するとき。
そこでは「した本人」と「された相手」だけで話がおさまることは、まずない。
そこには<第三者>が介入してくる。
「目には目を」と言われる<同態復讐法>をとるハムラビ法典196条でもそうだ。
専門的な知識をもつ、そしてまったく何の利害関係もない人間が、両者の意見を聴き、判断をくだす。

だが・・・
彼らも人間であり、神様ではない以上、どこまで信じることができるのか?

今日の一冊。
「裁判官が日本を滅ぼす」
(門田 隆将、新潮文庫)
(同単行本はこちら

不可解な裁判の実例を多く取材・詳細に描き、司法を斬る渾身の告発ノンフィクション(文庫裏表紙より抜粋)。

罪を憎んで人を憎まず。
でも、その矛先は正しいのか?

裁判官+@だけにまかせる現行の裁判から、無作為に選ばれた国民を参加させる裁判員制度が2009年(平成21年)5月までに始まろうとしている。
これはアメリカの陪審制度にのっとったものだろう。
「一般の声」をいれた裁判を、というのは評価できないことはない。
しかし、こちらの方の指摘どおり、現状の日本(というよりも、日本人の国民性)では、うまく働かない可能性の方が高い。
下手をすると、「大手をふって社会的制裁を加える」場にもなりかねない気がするのだが・・・。
あと、無作為に選ばれる・とは言っても、その人が仕事を休んだりする時に「裁判員に選ばれた」というのを理由に(例えば)公休扱いにできるのだろうか?
裁判員制度のFAQで回答されてはいるものの、この通りにいくとは思いにくい。

アメリカの陪審員制度・そして実際に法廷を描いた作品として、個人的には「Q.E.D.−証明終了−」Vol.10<魔女の手の中に>をおススメしたい。
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無題

こんにちは。
陪審員制度って問題があるように感じます。
例えば個人が大企業を訴えた場合、
大概において無作為に選ばれた国民は個人を擁護するんじゃないかと・・・
最近のアメリカの裁判の判決を知るとかなり無茶な訴えでの
告訴側の勝訴が目立っているように感じます。

無題

「罪を憎んで人を憎まず」
 小学校の担任からくどい位いわれましたが、「何故?」と問われると未だに良く分かりませんね。
 裁判員制度はまだイメージが湧きません。確率から言っても裁判員になる可能性は低いと思いますが、もし当たったとしたら、勉強してやってみたいと思います。

無題

"12人の優しい日本人"が現実化なんですねぇ

無題

陪審員制度はアメリカでも未だ賛否あったような気がしますが、
日本人の意識を変えるという点で
うまくいけばいいなぁと思います(・ω・)

  • 2005年11月20日日
  • URL
  • ちゃーりー
  • 編集

無題

「裁判官が日本を滅ぼす」
詠んでみたいと思います。

無題

 こんばんは。
 何事も、自覚的でなければ「手を貸す」状況がさらに進化するように思います。
 プラスの面も、もちろん否定しませんが。

無題

善人だけど罪を犯す。
嫌な奴だけど無実だ。
こういうことを私は冷静に判断できるのかな?
人一人の人生を決定する権利が私にはあるのかな?

  • 2005年11月21日月
  • URL
  • けろきょろ
  • 編集

無題

5秒ルールの記事にコメントが残せない?
混んでるだけかな?

無題

遅ればせながらのレスですみません。
私のブログでのご指名を受けて、ごく簡潔にレスをするならば、まず私は「国民性からして失敗」という議論にあまり説得力を感じていません。少なくとも、検察審査会は、くじで選らばれた一般市民が検察の起訴不起訴について戦後60年近く判断をしてきました。検察審査会も証拠に基づき討議をしていますが、そこでの討議が箸にも棒にもかからないという話は耳にしたことがありません。
また、大正時代に日本に存在した陪審制度は確かに短命に終わりましたが、それは市民の討議能力の低さではなく、陪審員の参加が消極的だったからでもなく、陪審裁判を選択した被告人には上訴権が認められなかったために、被告人が軒並み陪審裁判を回避したことが大きな理由だと思われます。
いわば、制度的な問題が原因でしょう。
その意味で、裁判員制度も問題があることは確かですが、国民性の議論に矮小化するよりも、具体的にどの部分に欠点があるのかを議論する方が生産的だろうというのが私の理解です。舌足らずですが、とりあえずはこれくらいで。

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