01.23.12:21
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02.20.08:19
すでに旧聞になりつつある「産む機械」発言。
検索かければいくらでも関連記事は出てくるので、ここで引用するものはほとんどない。 ここで訊いてみたいのがひとつ。 「産む機械」があるということは「産ませる機械」もある、ということ。 かの失言者は「産む機械にがんばってもらわなければ」と言った。 では、「産ませる機械」にも当然がんばってもらわなければいけないのではないか? がんばれない「産ませる機械」は、果たしてどうなるのだろうか? 今日の一冊。 「性的不能者裁判-男の性の知られざる歴史ドラマ-」 (P. ダルモン、新評論) (Amazonのリンクは「こちら」) 17-8世紀のヨーロッパにて実際に行われていた「不能者」を弾劾する裁判。 その裏にひそむ「迫害する側」の心中を探り出す。 比翼連理。 そんな言葉はすでに通じないのか? 不妊についてはいまだに女性側の問題でしかないと考えているひとも多い。 しかし、実際には男性側4割・女性側4割というところ。 男性側の問題もきちんと調べないとならない。 でも、それを認めようとしない男性(側の関係者)は多いだろう。 「あの発言」について、ここに通ってくださる方々はどう思っておられるのだろう? 訊いてみたい。 PR
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女性からしたら腹立たしいやら情けないやら…
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おはようございます。
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年金財政の悪化は少子化のせい、
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自分のところに書いた通りで、問題発言だと思ってます。
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今にして始まった事じゃないので,別段いぃんですけどね。
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迂闊で軽率な発言であったのは否めませぬ。しかし、あそこまで叩くのは、これまた理不尽。
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