01.22.18:00
|
05.31.15:48
今、ぼくはひとつ嘘をついている。
嘘をつく、というより、誤魔化している、と言った方がいいかもしれない。 本当のコトを赤裸々に伝えることが絶対に必要とは思わない。 <方便>というのは大事だ。 相手のことを思う嘘、潤滑油としての嘘、処世術としての嘘。 だけど、今の「嘘」は、かなり危ない<嘘>だ。 このままつらぬき通すか、いつか破綻する時を待つのか。 ぼくの心は、揺れている。 今日の一冊。 「嘘発見器よ永遠なれ」 (ケン・オールダー、早川書房) (出版社のリンクは「こちら」) 1920年代のアメリカで考案・発明され、数限りない人々の心を覗いてきた<嘘発見器>。 その発明者ふたりの人間ドラマを軸に、類いまれなる<正義の機械>の魅(魔)力を解きほぐしていく。 神にも悪魔にもなる機械。 神か悪魔か、誘うのは、人間。 この本の「日本版に寄せて」によると、日本ではアメリカ以上に嘘発見器が信頼されているらしい。かの国では法廷証拠として認められていないのに対し、日本では最高裁で信頼性が認められているとのこと。 アメリカの「ポリグラフ協会」のHPは「こちら」。 久方ぶりのインタラクティヴ企画。 「ついてもいいと思う嘘・絶対駄目と思う嘘について教えてください」 PR
|
1年前が3年前、5年前が2年前になったり…。「忘れっぽいだけなのです・・・」
|
ついてもいい嘘
|
社会機構の安定という意味では、かなり制約されますね。
|
よく言われることですが,人が言葉を発することが出来るようになったと同時に、嘘をつくことも出来るようになったのだそうです。
|
仕事を引き継ぐ後輩には「後で本当に出来るウソ」「バレない嘘(つきとおすためにアフターフォローも忘れない」はついていい、と言いましたが。
|
何かを隠す優しさってあると思う。そのための嘘ならついていいんじゃないかと。
|
ついた嘘を覚えていられないボンタです。
|
|
|