01.23.10:28
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01.03.09:08
僕は今、自宅の寝床の中でこれを書いている。
今日で僕の<新年>は終わり、明日から日常が帰ってくる。 <日常>・・・? 世界とのつながりを<日常>と呼ぶなら、その<日常>はみんな同じとは限らない。 以前の記事でも書いたが、五感を通じてつながる<世界>は、隣の愛するひとの感じる<世界>とは違うかもしれない。 僕の感じる<世界>、<日常>が、たとえきみの感じる<世界>と異なっていても、きみを愛する気持ちに変わりはない。 でも、その事を話せば、きみは僕から遠ざかっていく、間違いなく。 だから、僕は「普通」のふりをする。 きみの感じる<世界>も世間一般の「常識的な世界」とは違うかもしれない。 でも、その確率は、限りなく低い。 そんなふたりが出会うとしたら、それは、神の気まぐれなのだろうか・・・。 今日はまず映画のご紹介。 「ギミー・ヘブン」 (2005、日本、監督:松浦徹) <共感覚>(<Synaesthesia>)と呼ばれる「ある感覚(例えば視覚)刺激で他の感覚(例えば触覚)を一緒に感じてしまう」感覚。 誰にも理解してもらえない<共感覚>を持った男(江口洋介)と女(宮崎あおい)が出会ったとき。 そこから悲劇が始まる・・・。 1月14日(土)、ユーロスペースを皮切りに全国順次ロードショウ。 そして、この映画を紹介するきっかけとなった一冊。 「共感覚者の驚くべき日常-形を味わう人、色を聴く人-」 (R.E.シトーウィック、草思社) ひとりの共感覚者と出会ったneurologistが、彼を研究する中で解きほぐしていく、感覚/意識の正体。 世界はゆらぎ続ける。 そのゆらぎを止めるのは、自分自身。 Neurologistは訳書では「神経科医」となっているが、日本で言う「神経科」ではないだろう。 日本の「神経科」は「精神科」のことだからだ。 日本では「神経内科」という部門になるのだが、普通はあまりなじみのない言葉だろう。 実質、そういう科があることを知らないで脳外科にかかるひともいる。 あくまでそちらは<外科>なのだ。 訳を読む限り、この著者は日本では「神経内科」のフィールドにはいる人だろう。 参考としてこちらをあげておく。 PR
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「共感覚」記憶力の天才や暗算の達人に多いみたいですね。 |
文字がカラフルに見えるなんてどんな気分なんだろう??? |
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